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前橋地方裁判所桐生支部 昭和56年(ワ)95号 判決 1985年8月20日

原告

横川俊夫

右訴訟代理人

平野和己

被告

袖野吉高

右訴訟代理人

山岡正明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事   実《省略》

理由

一診療経過について

1  被告が肩書地において「袖野眼科医院」の名称で眼科医院を開業する医師であること、原告が昭和五三年二月六日に被告方医院に来院したこと、被告が原告の眼底・眼圧の検査を行つたこと、被告が原告の左眼の疾患をフリクテンと診断し、フルメトロン点眼薬を投与したこと及び原告が二月一三日に被告方医院に来院したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  前記1の当事者間に争いのない事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五三年一月下旬ころ、左眼球結膜が充血しているのに気づいたが、右充血が一週間位しても快方に向わないため、同年二月六日、被告の営む「袖野眼科医院」を訪れ、左眼球結膜の充血を主訴として被告に診療を求めた。被告は、直ちに眼底検査、シェッツの眼圧計による眼圧検査及び細隙灯顕微鏡検査を行つたが、眼底には異常は認められず、眼圧も五・五グラムの負荷のとき右二四・三四mmHg、左一七・三〇mmHg、一〇グラムの負荷のとき右二三・〇九mmHg、左一六・四八mmHg(乙第五号証「臨床眼科全書」四三頁掲記の換算表に基づく換算)と右眼が高い眼圧を示した。被告は、細隙灯顕微鏡検査の結果等から被告の左眼の疾患を輪部フリクテンと診断したが、角膜にも病変が認められ、また充血も広範囲に及んでいたため、角膜及び球結膜についてもフリクテンが疑われた。被告は右診断に基づき、ステロイド剤の一種である〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬を投与し、ステロイド剤投与による副作用の一の細菌感染を慮って感染予防のために抗生物質のエコリシン点眼薬を併せて投与した。原告は、二月八日、九日にも被告方を訪れたが、左眼の所見には変化はなく、そのため、被告は、二月八日には強力ミノファーゲンCを、二月九日には初診時と同様、〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬、エコリシン点眼薬を投与した。二月一三日にも原告は被告方を訪れて被告に診療を求めたが、同日には経過が若干好転する兆しが認められた。

(二)  二月一六日の原告の左眼の所見は二月一三日と同様であつたため、〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬では所期の効果が期待できないと認められた。そのため、被告は、〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬よりも強力なステロイド剤の使用の必要に迫られ、眼圧を測定し、初診時から眼圧が変動していないことを確認したうえ、〇・一パーセントリンデロン点眼薬を以前の点眼薬に併せ、追加投与した。リンデロン点眼薬はフルメトロン点眼薬に比して抗炎症作用の強力なステロイド剤である反面、眼圧上昇作用も強いうえ、炎症のない右眼は眼圧が高かつたので、被告は原告に対し、念のため、左眼にのみ点眼するように指示した。二月二一日には左眼の充血を主体とした病変が好転したが、原告は、同月二五日に来院した際、被告に対し、薬をかえたにもかかわらず、症状が好転しないと訴えた。被告は、リンデロン点眼薬の投与にもかかわらず病状が思うように好転しないため、ステロイド剤の内服を原告に勧めたが、原告はステロイド剤の内服に応じなかつた。一方、リンデロン点眼薬は眼圧上昇作用が強いうえ、右眼の眼圧が比較的高い数値を示していたため、被告は、リンデロン点眼薬の継続投与をためらい、リンデロン点眼薬よりも眼圧上昇作用の弱い〇・一パーセントフルメトロン点眼薬を投与することとし、エコリシン点眼薬とともに投与した。

(三)  ところが、三月一日に原告が被告方医院を訪れた際には、左眼の球結膜に浮腫が認められ、左眼の症状は悪化していた。被告は原告に対し、〇・一パーセントフルメトロン点眼薬に代えて〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬を投与することとし、エコリシン点眼薬を併せて投与した。翌二日になると原告の左眼の球結膜浮腫は一層悪化しており、そのため、被告は原告の了承を得てステロイド製剤の内服薬であるプレドニン一錠(一日分)を投与した。

(四)  原告は、一か月も医者にかかつても左眼が改善しないばかりか逆に悪化したことに不安を抱き、内科的疾患等も疑い、かかりつけの内科医のところへ行き、胸・腹部のレントゲン撮影などの検査を受けたが、内科的には異常は認められなかった。そこで、原告は、眼の治療に専念することとし、右内科医の紹介で三月四日に北川眼科(北川洋医師)に転医し、北川医師に「袖野眼科で治療していたが良くならなかつた。二六日ころより急に悪くなつた。」と訴えた。北川医師は、まず細隙灯顕微鏡を用いて原告を診察し、左眼の球結膜が充血しているうえ、少し浮腫があるのを認めた(角膜には異常は認められなかつた。)。次いで両眼の眼圧をシェッツの眼圧計で測定したところ、五・五グラムの負荷のときには左右ともに二目盛を示し、一〇グラムの負荷のときには左右ともに七目盛を示した(北川医師の用いた換算表によれば左右ともに三二mmHgとなるが、被告の用いている前記換算表では、五・五グラムの負荷のときが左右ともに二八・九七mmHg一〇グラムの負荷のときが左右ともに二七・一六mmHgとなる。)。右の眼圧測定結果によれば、原告の眼圧が左右ともに高かつたため、北川医師は原告について両緑内障との診断を下し(但し、視野狭窄等他の視機能についての検査は行つていない。)、さらに両結膜炎、左ぶどう膜炎の疑いとの診断を下した。北川医師は右の治療のために抗生物質のコリマイC点眼薬、縮瞳剤の一パーセントピロカルピン点眼薬、降眼圧剤ダイヤモックスSRとアスパラKを各々投与したが、一パーセントピロカルピン点眼薬はダイヤモックスSRと同様、眼圧を下げる目的で投与した。翌五日、シェッツの眼圧計を用いて眼圧を測定したところ、五・五グラムの負荷のとき六目盛と眼圧が降下したため、内服を中止し、さらに三月六日の眼圧の測定結果も前日と同様であつたけれども、左目に充血と浮腫が認められたため、抗生物質のラリキシン、ステロイド剤のプレドニンを投与した。三月七日に眼圧を測定したところ、五・五グラムの負荷のとき左右ともに三目盛を示し、一〇グラムの負荷のとき左右ともに六・五ないし七目盛を示し、初診時より眼圧が下つていたため、北川医師は降眼圧剤の投与をやめ、その後、原告は三月一三日まで同眼科に通院したが、右のような症状に格別の変化は認められなかつた。

(五)  原告は、目の症状が好転しないため、三月一四日再び大谷医院眼科に転医し、同医院の大谷節子医師に対し、一月二〇日以降の左眼の充血と視力の低下による視力障害を訴えた。大谷医師は、視力測定、眼底検査(異常なし)、エオジノ細胞検査、アドレナリン点眼による充血の深度の検査(+)、シェッツの眼圧計による左眼の眼圧測定(五・五グラムの負荷の際に二目盛で、同計器附属の換算表によれば二八・九七mmHgと換算される。なお、被告使用の前記換算表による換算結果と同数値となる。)、尿検査並びにゴールドマン及びフリードマン視野計による視野測定(ゴールドマン視野計による測定結果によれば、左眼が右眼より若干視野が狭かつたが、フリードマン視野計による測定結果は正常と認められる。)などの諸検査を行つた。大谷医師は右諸検査の結果から、充血が深いこと、眼圧が高いこと、ゴールドマン視野計による測定で左眼の視野が右眼に比べて狭いことから左続発性緑内障ではないかとの診断を下し、さらにビールス性強膜炎との診断も下した。

(六)  大谷病院の非常勤医の山崎篤己は三月一五日に大谷医師の依頼で原告を診察し、左眼の角膜に潰瘍のあることを認めるとともに、球結膜に強い炎症の存在するのを認めた。山崎医師は原告の眼圧が高いことを診療録で確認し、また、左眼に強い炎症があるためにステロイド剤をこれまでの医師が使用していたものと推察し、原告にステロイド剤の使用の事実を確認したうえで、大谷医師にステロイド緑内障の疑いがあるのでステロイド剤の使用を中止して眼圧の変動を観察して右診断を確実にするように求めた。そのため、大谷医院における原告の眼の長期治療期間を通じて大谷医院では原告に対しステロイド剤を使用しなかつた。

(七)  原告は昭和五六年一一月三〇日まで大谷眼科で治療を続けたが(その間、原告は昭和五三年三月一八日から同年七月一〇日まで原告の希望で入院した。)、原告の眼圧はステロイド剤を使用していないにもかかわらず一七mmHgから三〇mmHgの間で変動し続けた。大谷医院では整理の都合上、一年ごとに分けて診療録を編綴しているが、大谷医師は昭和五四、五五年度の診療録作成にあたり、大谷医師が不在のときや非常勤の医師が原告を診察したときに、原告にステロイド剤を投与しないようにし、かつ、保険診療上の配慮もあつて、傷病名欄に左ステロイド性緑内障(治療開始日は昭和五三年三月一四日)と記載した。次いで、同医師は、昭和五六年度の診療録作成にあたつては傷病名欄に左右ステロイド性緑内障(治療開始日は昭和五三年三月一四日)と記載し、さらに、昭和五六年六月三日には左ステロイド性緑内障、左右春季カタル兼睫毛乱生により昭和五三年三月一四日から通院加療中である旨の診断書を作成した。

ところで、<証拠>には右認定と異なる事実の記載も認められるけれども、同号証は原告が本訴の提起に先だち昭和五六年六月一一日当庁に対し証拠保全の申立てをした際に、その疎明資料として原告のその当時の記憶に基づいて作成されたものであることが原告本人尋問の結果より認められ、その作成経過からして日時等その細部にわたる部分は必ずしも信用できず、診療の都度記載される診療録である<書証>等に比しても信用性に乏しくたやすく採用できない。

二原告は、原告が昭和五三年三月一日ころまでに左右両眼ステロイド性緑内障に罹患したと主張するので、この点について判断する。

1  請求原因3の事実は眼圧の正常値を除き、いずれも当事者間に争いのない事実であり、右当事者間に争いのない事実に、<証拠>並びに鑑定の結果を総合すれば次の事実が認められる。

(一)  副腎皮質ステロイド剤(以下「ステロイド剤」という。)は、すぐれた抗炎症作用を有する薬剤で各種眼疾患の治療に広く用いられているけれども、その作用機序は不明な点が多いといわれている。現在、眼科領域で主に使用されているステロイド剤は合成ステロイド剤であつて、外眼部や前眼部疾患には点眼を中心とした局所投与が行われ、ぶどう膜炎、視神経炎、眼窩疾患には全身投与という方法が用いられる。本件において使用されたフルメトロン点眼薬及びリンデロン点眼薬は、いずれもステロイド製剤であり、右のうちフルメトロン点眼薬は、抗炎症性合成副腎皮質ステロイドであるフルオロメトロンを主成分とする薬剤である。合成ステロイド剤の生体に対する作用としてはホルモン作用としてグルココルチコイド作用と下垂体副腎系抑制作用が存し、薬理作用として抗炎症作用、免疫抑制作用などが存するが、ステロイド剤はホルモン作用としてのグルココルチコイド作用のために種々の副作用を生ずる。

(二)  ステロイド剤の副作用のうち、眼科的に最も注意すべきは眼圧上昇作用である。眼圧とは、角膜や強膜といつた眼球被膜に包まれた眼球内部の圧のことであり、眼内各組織を正常に機能させるために重要な役割を有しているところ、ステロイド剤の副作用としての眼圧上昇作用は、ステロイド剤の作用により分解酵素の放出が阻害され、そのため、隅角組織内に異常物質が蓄積し、これにより房水流出障害をきたすために生ずる。ステロイド剤の投与による眼圧上昇は通常ステロイド剤点眼数週ないし数か月後に起こつてくるが、稀には三ないし七日の短期間でも上昇するものがある。また、ステロイド点眼薬の一か月位の投与により眼圧が上昇した場合にはその点眼を中止すれば一ないし二週間の経過で正常眼圧に戻るものであつて、投与の中止後も長期間にわたつて眼圧上昇を維持することはない。ところで、正常眼圧についてはさまざまな報告例があるが、二五mmHg以上に眼圧が上昇した場合には異常眼圧を一応疑う必要が認められる。

(三)  ところで異常な眼圧上昇が続くと、これに起因して眼に機能的障害が発生し、次いで器質的な障害が発生する。この状態を緑内障という。換言すれば、緑内障とは、原因が何であれ、持続的またはくり返し眼圧上昇のおこることが基盤となり、眼の機能的ひいては器質的障害をきたす疾患群をいう。そして、ステロイド剤の投与による前記眼圧上昇作用のために発症する緑内障がステロイド緑内障と呼ばれる疾患である。ステロイド緑内障の臨床像としては、①ステロイド剤の局所あるいは全身投与②高眼圧③房水流出率の低下④開放隅角⑤視神経乳頭の緑内障性萎縮陥凹⑥緑内障性視野変化⑦ステロイド剤投与中止により眼圧、房水流出正常化があげられる。緑内障の初期に生ずる視野欠損は、中心視野に生ずるものであつて、それはマリオット盲班の上下の拡大であり、また、ザイデルベルムの暗点の発生である。フリードマン視野計は中心視野を精密に測定するものであり、ゴールドマン視野計は週辺視野を精密に測定するものであるから、緑内障に視神経障害が始まると、フリードマン視野計は鋭敏にそれを証明できるけれども、ゴールドマン視野計では証明しがたい。ステロイド緑内障はステロイド剤の投与により眼圧が上昇し、高眼圧がある期間継続してはじめて視機能に障害を生ずるものであり、視機能に障害をもたらす前に点眼を中止すれば眼圧は正常化するものであるから、早期の眼圧チェックでその発症をさけることができる。

2 前一2で認定したとおり、原告が被告方医院において、昭和五三年二月六日から同月一五日までの間及び同年三月一日、〇・〇二パーセントフルメトロン点眼薬の、同年二月一六日から同月二四日までの間、リンデロン点眼薬の、同月二五日から同月二八日までの間、〇・一パーセントフルメトロン点眼薬の各投与を受け、そしてさらに同年三月二日にはプレドニン一錠の投与を受けていること、同年二月六日及び二月一六日に被告がシェッツの眼圧計を用いて測定した原告の眼圧は五・五グラムの負荷のとき右二四・三四mmHg、左一七・三〇mmHg、一〇グラムのそれのとき右二三・〇九mmHg、左一六・四八mmHgであつたが、同年三月四日に北川医師が同じくシェッツの眼圧計を用いて測定した原告の眼圧は、被告の用いた換算表により換算すると五・五グラムの負荷のとき左右とも二八・九七mmHg、一〇グラムのそれのとき左右とも二七・一六mmHgと被告方で測定した数値に比して上昇していること、北川医師は同年三月四日、原告について両眼緑内障との診断を下していること及び大谷医師は同年三月一四日の初診時においては左続発性緑内障との診断を下したが、昭和五四、五五年度の診療録作成にあたつては、傷病名欄に左ステロイド性緑内障(昭和五三年三月一四日発症)と記載し、また、昭和五六年度の診療録の作成にあたつては同欄に左右ステロイド性緑内障(昭和五三年三月一四日発症)と記載し、さらに昭和五六年六月三日には左ステロイド性緑内障、左右春季カタル兼睫毛乱生により昭和五三年三月一四日から通院加療中である旨の診断書を作成したことが証拠上明らかであり、以上の事実に前二1の認定事実を併せ考えれば、原告は、その主張するように昭和五三年三月一日までに左右両眼ステロイド性緑内障に罹患したものであることが一応推認される。

3 しかしながら、先に認定したとおり、原告の右眼の眼圧は被告方において何ら治療行為を行つていない初診時において二四・三四mmHg(五・五グラムの負荷のとき)と非常に高い数値を示しており、したがつて、原告には被告方における治療以前から高眼圧を招来せしめる疾患の存在が疑われる状況にあつたうえ、一か月程度のステロイド点眼薬の投与により眼圧が上昇した場合には、その点眼を中止すれば、一、二週間で眼圧が下降し、正常に戻るものであると認められるところ、原告の場合には大谷眼科においてステロイド点眼薬の投与を受けていなかつたのにもかかわらず、その眼圧は一七mmHgから三〇mmHgの間で著しく変動している。こうした原告の眼圧の変動の経過からみれば、被告方での診療後に発生した原告の眼圧の上昇がステロイド剤の局所投与に起因するものであると認めることには疑問を抱かざるをえない。また、緑内障は持続的またはくり返し眼圧上昇のおこることが基盤となり、眼の機能的ひいては器質的障害をきたす疾患群をいうのであるから、その確定診断には単に患者の眼圧が高いことのみでは足りないというべきであるところ、北川医師は、視野狭窄等の視機能の検査は何ら行わずに左右の眼圧が高いことのみに基づいて両緑内障との診断を下しているにすぎないのであるから、右北川医師の両緑内障との診断はにわかに採用しがたいというべきである。一方、大谷医師はその初診時において、原告の左眼の充血が深いこと、眼圧が高いこと、ゴールドマン視野計による測定で左眼の視野が右眼に比べて狭いことから左続発性緑内障との診断を下しているが、前記認定のとおり、緑内障の視神経障害についてはフリードマン視野計は鋭敏にこれを証明できるが、ゴールドマン視野計ではその証明に困難を伴うものであるところ、原告についてはフリードマン視野計による測定結果は左右とも正常であるうえ、証人山崎篤己の証言によれば、ゴールドマン視野計による測定結果に認められる左眼の視野の異常は、原告の視野の低下に基因するもので緑内障と無縁のものと認められるから、大谷医師の初診時における左続発性緑内障との診断もまたたやすく採用しがたいというべきである。さらにその後に大谷医師の下したステロイド性緑内障との診断もまた、前記一2認定にかかる診断根拠に徴すれば、その根拠が乏しく採用できないことは明らかである。

4 以上の事実によれば、前記二2記載の事実をもつてしても原告主張事実を推認できないという他なく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

三次に原告は、原告が左眼ビールス性ぶどう膜炎に罹患したと主張するので、この点について判断する。

前記認定のとおり、なるほど北川医師は昭和五三年三月四日に原告について左ぶどう膜炎の疑いとの診断を下しているけれども、<証拠>によれば、ぶどう膜炎は病因的に外因性(外傷、外来性感染症などによるもの)、内因性(外因性のようなはつきりした原因が認められない非化膿性のもの)の二種類に大別されること、内因性ぶどう膜炎の病因としてビールスは重要視されるものであることが認められ、したがつて、ぶどう膜炎の病因としては種々のものがあり、ビールスはその重要な一つの病因にすぎないものと考えられるところ、北川医師が左ぶどう膜炎の疑いと診断した際、その病因としてビールスを考えていたと認めるに足りる証拠はないばかりでなく、鑑定の結果によれば、ぶどう膜炎と診断するためには、細隙灯顕微鏡で房水の微塵状混濁が認められなければならないと認められるところ、北川医師の作成した診療録である甲第一号証、証人北川洋の証言を含め、本件全証拠をもつてしても、右事実を認めることはできないし、却つて、証人北川洋の証言によれば、右眼に比して左眼の充血が著しいために、両緑内障、両結膜炎との診断に加えて、左ぶどう膜炎の疑いとしたにすぎないとの事実すら認められ、したがつて、北川医師の左ぶどう膜炎の疑いとの診断もにわかに採用し難い。結局、以上検討したところによれば、北川医師が三月四日に原告について左ぶどう膜炎の疑いとの診断を下した事実をもつてしては、原告の主張する右事実を推認できないし、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

四さらに、原告は、原告がビールス性強膜炎に罹患したと主張するので、この点について判断する。

この点について、大谷医師が昭和五三年三月一四日に原告についてビールス性強膜炎との診断を下したことは前認定のとおりであるけれども、鑑定の結果によれば、強膜炎に罹患した場合、患部である強膜は紫紅色を呈し、局所の激しい痛みを伴うこと及び強膜炎よりやや表層の侵される上強膜炎に罹患した場合においても、強い局所的充血と結節をその臨床像とすることが認められるところ、本件においては原告に当時こうした臨床所見があつたと認めるに足りる証拠はなく、原告が強膜炎を惹起したと主張するビールスの存在についてもまたこれを認めるに足りる証拠はない。結局、大谷医師のビールス性強膜炎との診断は採用し難く、右事実をもつてしては原告の主張事実を認めるには十分でなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

五以上の次第で、原告がステロイド性緑内障、ビールス性ぶどう膜炎、ビールス性強膜炎の少くともいずれかに罹患したことを前提とする原告の本訴請求は、その前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく理由がないことが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官楠 賢二 裁判官岩城晴義 裁判官深見敏正)

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